2010年2月23日 19:03
カテゴリ:[
利用規約など
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タグ:[
著作権
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こんにちは、chikiです。
今回は、「二次創作におけるケンリシャ」には、みなさまクリエイターご自身もふくまれます、ということをお話しします。
まずは、こういうケースを考えてください。
Aさんは、権利者から許諾をもらうことなしに、Aさんの好きなキャラクターの絵を、
Aさんなりの工夫をかなりして描いて、それをホームページで発表していました。
ところがある日、Aさんは、全然知らないBさんが、自分の絵を、「わたしが描きました」と
いって発表しているのをみつけてしまいました。
AさんはBさんに抗議しましたが、Bさんは相手にしてくれません。
ネットでは、たまにあるようなケースですね。
さて、法律ではこういう問題はどうなるでしょうか?
ポイントは、Aさんが絵を描いたときに、権利者の許諾をもらっていないことです。
著作権法の先生では、こういうときは、たとえ許諾がなかったとしても、Aさんが自分なりにかなりの工夫をしているわけですから、その工夫した部分についてはAさんがまもられる、と考える人が多いようです
つまり、出るトコに出ればAさんの主張が通ります。これは、みなさんも納得しやすいのではないでしょうか。
だけど、「いくら工夫しているとはいっても、もとにしたものがあって、それを無断で描いたものをまもる必要はない」と考える先生もいらっしゃいます。これも、なんとなく納得できるように思われるでしょう。
じゃあ結論はどっちなんだ。
これ、実際に裁判してみないとわからないんですよ。
これまで、そういう裁判の例が、ないんです。だから、どっちが勝つかはわからない。
それって、あんまり安心できませんよね。
だけど、ちょっと考えてみましょう。
上の例は、権利者の許諾がないことが問題になっていました。
とすれば、キャラクターの権利者があらかじめAさんに許諾していれば、このときはいつもAさんが勝ちます。
「ケンリシャであるクリエイター」が、こういうかたちでまもられていれば、二次創作とかCGMはうまく回っていきそうです。クリプトンがPCLをさだめている理由のひとつがこれです。
そうはいっても、「いや、そんなこと大した問題にはならないから」という声が聞こえてきそうです。たしかに、こういうことは法律よりもマナーや常識で解決できそうな問題です。
でも、例えばBさんが外国の人だったらどうでしょう?
日本のサブカルチャーがいま世界的に注目されていて、インターネットを介して二次創作も日本国外でひそかな人気となっているいま、ありえなくはないケースです。
それでマナーや常識がちがうということになると、ここで法律の出番になります。
そのとき、「Aさんは無断で作品をつくったから、法律ではまもられない」という結論になったとすると、さすがにこれは、みなさん納得できないのではないでしょうか?
このインターネットとCGMの時代に、たとえ二次創作であってもクリエイターでいる、ということは、こういう事態をかんがえなければならないということでもあるのです。
それが、「みなさまもケンリシャなのです」とchikiが申し上げたことの意味であり、「ケンリシャいったい何者だ?」という問の答のひとつでもあるのです。
次回は、こうした「パクリ」の問題について、もう少しおはなしします。
それでは、また!
(知規)
裁判の話の前に親告罪(著作権法の親告性)についても、解りやすく説明して欲しいなぁと思いました。
投稿者 桐生琢海 : 2010年2月23日 20:52
前回の「どんなことをすればいいかは結構わかっています」という力強いコメントにはしびれましたw
今回はだいぶ具体的な話でいよいよ核心に迫ってきましたね。
作品の質が高ければ高いほど、権利が侵害される可能性も、侵害されたときのダメージも大きいでしょうから、転ばぬ先の杖として法律まわりがしっかりしていないと、CGMの流れがとどこおることになりかねない。
そういう点でPCLって分かりやすいし、クリエイターにとってありがたい仕組みですよね。
動画制作時にピアプロの絵をよく使わせていただいているのですが、ある程度安心して利用できるのは本当に助かってます。あまり言う機会がないのでここで声を大にして言わせてください。
「ありがとうクリプトンGJ!」
投稿者 チューハイ : 2010年2月23日 21:39
正直、後半の文章がかなり強引な印象を受けました。
なぜBさんが外国の人だったら法律の出番になるのでしょうか。
基本的に相手が海外の人であっても日本人であっても、現実的な対処としてはまず相手にコンタクトをとって解決を図るのではないかと思いますが。
いくら言葉や文化の壁があるとはいえ、相手が外国人と仮定したときに、いきなり法律の出番と言ってしまうのはどうなのでしょう?
おそらく、文章の書き方の問題であってchikiさんにはそういう意図は無いものと思いますが、少し深読みしてしまえば、日本人なら常識やマナーでも解決できるかもしれないけど、外国人にはそんなの無理だという一種の差別的表現にも受け取れてしまう気がします。
投稿者 telomere : 2010年2月24日 01:29
おはようございます、chikiです。
コメントをいただき、ありがとうございます。
なお、お寄せいただいたコメントにはすべて目を通しておりますことを
お伝えいたします。
>桐生琢海さま
親告罪のお話ですね。
逆に、桐生さんであればどういう切り口をお望みになりますか?
たとえば、「親告罪なので権利者から言われなければ何をやってもいい」
というのは誤りである、のような内容ということになるでしょうか。
>チューハイさま
心強いお言葉をいただき、大変嬉しいです。
もっと多くのクリエイターの皆様にご安心とお楽しみを届けられるよう、
がんばってまいります。
>telomereさま
ご指摘、ありがとうございます。
文章を修正いたしましたので、ご確認ください。
投稿者 chiki : 2010年2月24日 10:24
そうですね、やはり親告罪の話で一番、論争の的となるのが違法性だと思います。
難しく言うなら、権利者から告訴されない限り罪に問われない(問う機会が発生しない)だけであって、著作権法に違反している(違法である)事実はきちんと意識すべきだと思います。
PCLの様に権利者が明確に許可を出していれば良いのですが、実態としては諸々の事情から権利者が権利を行使することがないという、いわゆる暗黙の了解に利用者が甘えているのが現状です。
例えば今回の記事では、Aさんが無許諾で二次創作を行ったこと、それ自体に関しては全く咎める対象としては書かれていませんよね。
PCLであれば二次創作されることが大前提ですから解りますが、他の権利者に対して同じ理屈が通るとは限りません。
たとえ99.9%告訴される事はありえないとしても、だから大丈夫という事にはならないはずです。
そういう事を全ての利用者がきちんと認識し、理解する。
それが出来て初めて、二次創作というのは推奨された方が楽しいよね、という話が出来るんじゃないかな、と思うんですよ。
自分が他人の権利を侵害している事実を棚上げして、自分の権利だけを主張する、というのは決して正しい事だとは思いません。
自分が敬意を払うからこそ、他人からも敬意をもって接してもらえる、という事を特に若い世代の方々には伝えていきたいですよね。
あともう一つ、暗黙の了解の話が出てきたのでコレをついでに言っておきたいんですが、少々長くなってしまってスミマセン。
権利者と一口に言っても、大きく分けると2種類ありますよね。
つまり、企業が金銭的価値を主な目的として、権利を管理している状態と、個人もしくは個人に限りなく近い小団体が、精神的価値を主な目的として、自ら権利を管理している状態。
解りやすく言うなら前者はクリプトン社だったり、出版社、音楽レーベルといったところで
後者は僕のようなクリエイター個々人。
この2種類の権利者って、同じ権利者でありながら性質が違うものだと思います。
全てがそうとは限らないんですが、基本的に前者であれば、経済的な被害の有無、大小といったものを基準にして、暗黙の了解という立場を取っています。
二次創作が頻繁に行われるのも前者に対してですし、いわゆる大人の事情という奴で、この暗黙の了解それ自体が、むやみに触れないことが暗黙の了解であるといった複雑でデリケートな存在です。
それに対して個々人のクリエイター、特にアマチュアやセミプロといった人や、プロでもアマでもない新しいタイプのクリエイターというのが、VOCALOIDを取り巻くムーブメント以外の部分でも、この数年増加してきていますよね。
こういう、自分の権利を自ら管理し、守らないといけない人が増えてきたからこそ、PCL的な考え方というのが必要になってくる時代なのかな、と僕は考えています。クリプトン社というのは本来であれば前者の立場ですが、向いている先は後者に近い。だから僕はこの取組にとても期待し、一緒に歩んでいきたいと思ってます。
親告罪の話や、そもそもの著作権法自体、こうしたケースを完全に想定して作られた物ではないと思いますし(法改正も徐々に進んでますよね)、暗黙の了解にしても、こうした権利者の立ち位置によってその意味が異なってきます。
権利の在り方・考え方というのもドンドン変化していくでしょうし、それに対して一人ひとりに理解を深めてもらうというのは大変な事ですが、この取組が広まり、そして良い方向へすすむことを願っています。
投稿者 桐生琢海 : 2010年2月25日 14:47
>桐生琢海さま
コメントへのお返事が遅くなり、すみません。
許諾を取るのはもちろん絶対に必要なんですが、これまでにもご紹介した通り、雪まつりの雪像だって「面倒くさい」という権利者もいる。
そうなるとやはり、「許諾をとっていないが無許諾ではない」という制度のつくりかたが大切になってくるのかなと。
法律、マナー、習慣、しきたり、そういったルールに加えて、
「好き勝手にふるまっているようで、じつはだれもルールを破っていない」
そんな制度設計もあればいいんだろうとわたくしは思っています。
二つの性質のちがう権利者、ということについてはわたしも同じように考えています。
たとえば、クリエイティブコモンズライセンスをディズニー社が自分のキャラクターにつけるか。たぶんありえないでしょうね。
著作権というのは、本来は文化の発展のため、つまり作り手のためのものでした。
文化の発展のために産業化が必要になって、いつの間にか産業保護法のようになってきましたけれど。
でも、力のある企業が産業として著作権をつかうのと、まだ力のないクリエイターが、力もないながらそれでも自分の作品を一生懸命まもるために使う著作権とは、別の性格であるところも多分にあると思います。
そういう中で、おなじ著作権という言葉を接点にして、企業と個人がコミュニケーションしなければならない大変さというのを、どうやって解決すべきなのか。
そういうことでお役に立てたらなと、願っています。
投稿者 chiki : 2010年2月26日 22:03